このブログでオピニオン系記事を書き始めて早1年半がたとうとしています。
当初はオピニオン系記事は途中でやめて、美容情報中心のブログにシフトしようと考えていました。
しかし、最後だと決めて書いたオピニオン系記事が過去最高のブクマ数を集めたため、やはり続けていくことにしました。
ブログで意見を書くのが恥ずかしいという気持ち
しばらくの間はブログを運営すること自体「少し恥ずかしい」という気持ちがありました。
特にオピニオン系記事などは、誰にも頼まれていないのに、堂々と自分の意見や価値観という精神面の露出をするため、ふと「なんか自分、イタくない?(´-ω-`;)」と冷めた目線で見ている時もありました。
今は顔写真まで公開し、以前よりもさらに堂々とオピニオン系記事の投下をかましています。
最近はこの恥ずかしいという気持ちを全く感じなくなりました。
なぜなら途中から「自分は天才である。」という設定に変更したからです。
- 天才だから変に思われても仕方ない
- 天才だから理解されなくても仕方ない
- 天才だから多少引かれても仕方ない
なぜなら自分、天才なんで!!( ̄∀ ̄) 一般ウケなんてしなくてよい。むしろしないのが非凡の証!
位に思っています。
これは思ったというよりも無理やりそう決めた、という感じです。
そうでないと恥ずかしくなって無難な意見しか書けなくなる気がしたからです。
自分天才設定することのメリット
しかしこの天才設定は思った以上に色々と良い効果がありました。
人と違うことが天才の優越性なので、人目を全く気にしなくてよい
凡人であれば周囲の人と同調しなければ、変人、ひどい時は落ちこぼれ扱いされることもあります。しかし天才であれば、一般人と違うのは非凡さの証となります。
- 凡人設定⇒「あの人ヤバくない?( ´ノд`)ヒソ」
- 天才設定⇒「エキセントリックで何を考えているのかわからない所が素敵!きっと私達には理解の及ばない、壮大なスケールの世界観を持っていらっしゃるのね(*´∀`人)」
天才の意見に論理的根拠や条件は不要
閃きとイマジネーションこそ真の英知である。
出生やこれまでのイタい行動など、天才であればすべてがヒストリー(・`ω´・)
しょぼい自分時代の知人に突っ込まれた時の対処法
イエス・キリストは熱狂的な信者達に神のように崇められていましたが、地元のナザレでは「大工のこせがれが何言ってやがる。しょんべんたれが!(´-公-`)」と軽く扱われていたそうです(´・ω・)←ついにイエスと自分を同格に認識し始める。
「おまえが何言ってんじゃ!(´-公-`)p」と突っ込む、どこかで見たことのある顔の人が現れても「どなたですか~?(´・д・)」ですべて解決!天才は無駄なことは覚えない!ノープロブレム!
日常生活でも応用できる
今後は日常生活でもぜひ応用していきたいです。
「天才枠」は社会的ステータスがあれば神ポジション
ただ天才(仮想)枠を利用するには、逆説的ですが、社会的ステータスがあれば最強だと感じました。
天才は非凡な感性故に、なかなか一般的に理解されないことが多いです。
ですので社会的なステータスや実績等があれば、もう何をやっても天才枠で問題なし!という神ポジションを掴める気がしてなりません。
天才+権威の威力【シュミレーション】
- 社会的権威のない無名の天才⇒一日中ダラダラ<(´-∀-`)>美味しいもの食べて適当に忙しいフリしてりゃ叩かれないでしょ。目覚まし時計とは無縁の生活サイコー♪
- 周囲からの反応⇒ダメ(◎言◎`)人間
天才公認されていないと、ちゃんと働いて税金納めて、犯罪行為も意地悪もしていない善良な市民であっても、この位の仕打ちにあう可能性があります。
権威がある場合
社会的権威を持った天才⇒一日中ダラダラ<(´-∀-`)>通勤ダルいしぃ、会議とか怖いしぃ。美味しいもの食べて散歩でもできれば幸せ~。「おにぎり、美味しいんだなぁ(´ω(`)もぐもぐ」
それに対する周囲の反応⇒先生は我々凡人とは違うピュアで繊細な感性をお持ちの方なんだ( ・`д・´)俗世間の競争や資本主義に飲み込まれて矮小化していない所が、やはりさすがです!おにぎり持ってきます!
今まで社会的ステータスやブランドには全く興味がありませんでしたが、今後は天才枠で、思いきり甘えて生きるために、狙っていこうかと思っています(●ω●)フフ
まとめ
ブログやSNSは今はやっている人のほうが多い位ですので、自己表現ツールとして、趣味として、誰でも気軽に始めてみればいいと思います。
オピニオン系記事も、他の記事も書くのに資格や実績なんて一切いりません。
普段でも意見を言うのに、資格はいりませんよね。(それを要求する人はただの権威主義です)
今後も恥ずかしがらずに、堂々と投下していきたいと思います(^ω^)