ひとみーぬ通信

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日本には「差別を防止する法律がない」のはおかしいと思う。【国連から勧告を受け続けている】

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ご存じの方も多いとは思いますが、日本には差別を防止する法律がありません。

※6月にパワハラを防止する規制が始まりました。

 

日本以外の各先進国には(発展途上国でも)国ごとに、差別を防止する法律が定められています。

日本は国連から差別禁止の法制度化という改善勧告を繰り返し受け続けていますが、今だに目立った改善がなされていません。

※「障害者差別解消法」などは制定されましたが、効力は弱く満足いくものではありません。

 

日本では憲法により、

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

という項目が設けられています。

世界各国が差別を防止する法律を設けている理由は、差別を法律レベルで規制することにより、罰則を設けることができるからです。

ただの「差別はやめましょうね」的な、勧告に過ぎない防止法では罰則が事実上ないため、ほとんど効果が見込めません。

幾度となく炎上し、再発する国会議員の差別発言がいい例です。

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主な差別の種類

  • 人種的差別
  • 部族的差別
  • 宗教、信条
  • 障がい者
  • 性別
  • 年齢
  • 性的志向(嗜好ではありません)

などが上げられます。

差別を防止する法律がないからか、日本ではこれらの差別に関して非常に疎い印象を受けます。

年齢による雇用機会の剥奪が禁止されているにも関わらず、今だに履歴書には年齢表記欄があります。

 

芸能人や著名人がテレビに出ると、必ず()の中に年齢が表記されます。

 

これらの傾向は、年齢により個人を社会的常識や先入観等でカテゴライズし、差別や偏見を促すことを助長します。

※そもそも、こういうことに疑問を感じない時点で差別や偏見を無意識にしている、ということですね。

法律化を抜きにしても、人を「〇〇という属性」というラベルでしか見ないことは愛のある行動ではないと思います。

年齢差別はあまり認知されていない?

他にも障がい者差別など、差別の項目は多くありますが、あまり一般的に認知されていないのでは?と感じるのが年齢による差別です。

 

年齢というものは時代ごとの価値観や常識で意味が変わる、ただの数字です。

今の30歳と20年前の30歳、さらに100年前の30歳では、年齢の印象が全く異なるでしょう。

つまり年齢自体に意味があるのではなく、その時代、その人の持っている先入観に基づく、ただの印象が年齢という数字です。

年齢自体はただの数字でもレッテル貼りをすることで特定の個人の人格や権限、尊厳までも剥奪されることは許されないことだと思います。

 

他にも女性差別として家父長制度の中に女性置くことが当然とみなし、女性のライフスタイル追求権(幸福追求権)を剥奪することも差別です。


部族、集落によりレッテルをはること、障がい者の権利や職業機械を不当に奪うことも差別です。

 

「なんでもかんでも差別って言われたらたまんないよ!」

と息苦しく感じてしまいそうですね。

差別と区別の違い

基本的に差別とは権利や尊厳を剥奪されることを指します。

 

例えば日本人と外国人、男性と女性というカテゴリー分けは差別ではなく、ただの区別です。

 

そこに、日本人は優遇されて、外国人は冷遇されるのが当たり前、男性は出世できて、女性は出世できないのが当たり前・・

 

などの先入観念に基づく、個人の自由意思、権利、機会、尊厳の剥奪をなされた時、差別となります。

差別問題に疎い人の特徴

  1. 差別だと気づいてはいるが、個人的な主観から差別をする人
  2. 差別だということにすら気づいていない人
  3. 各宗教のファンダメンタリスト

の3つの傾向があると考えています。

1は、ある程度見識があり(歴史や政治等)さまざま比較対象の知識を持っています。

「差別であることは理解してはいるけれど、個人的に気に食わない、嫌悪感を感じるので差別をする」というケースです。

 

2は、差別であるという認識すらなく、比較対象する知識や見識を持ち合わせていないケースです。「賢い人の(お上)言うことなら正しい」とただ従うだけの人です。

 

3は、特定の宗教の原理主義者や特定の思想に固執する人です。

強固に作られた何らかの規範を絶対視し、他の価値観を排除しようとする傾向があります。

この2つめに、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)も含まれると思います。

www.hitominu.com

 時代的、世代的、特定の集団内で刷り込まれた価値観を(無意識的に)採用し続ける人達です。


あまりにも当たり前の価値観となっていたため、自分の先入観に気づけず、差別だと理解していない人も多いのが特徴です。

 

この3つの中で、2は単に無知からくる偏見です。

1は個人的な体験や経験により、認知が歪んでしまってた場合が多いです。

 

2に関しては、国が差別や偏見に対する行政レベルの対策をすれば割と簡単に解決すると思います。

 

さらに、1と3には、哲学的素養、競争原理社会の改善と歪んだ認知を直すための行動療法。


*3は脱洗脳も必要なのでなかなか難しいですね。


2には経験や知識を増やすことが必要かと思います。

 個人主義はわがまま?

個人主義を我がまま、身勝手で秩序やモラルがめちゃくちゃになる!という人は個人主義の意味を誤解しているのだと思います。

 

個人主義とは、自分の権利も、他人の権利も尊重する、という個人を大切にする主義です。

他人の権利を尊重するのに、めちゃくちゃになるはずがありません。


道徳よりも哲学的素養を養い「思考する国民」でいることが重要


日本人が人権に対して疎い原因は二つあると思います。

・自分たちで人権を勝ち取った歴史がない。
・道徳教育中心で哲学的思考が養われていない。

 日本では外国で行われたような人権運動が起きていません。


諸外国で人権運動が行われた後、確立された人権を輸入したからです。


つまり 人権の項目だけ後からスポッとかぶせられたような状態です。


現在の発展途上国でも 民主主義をスキップして一気に先進国へ 発展していくことが、 独裁政権への 危機感の鈍さに繋がると危惧されています。


やはり自分たちで苦しみ、勝ち取っていないものに 価値を見出すのはなかなか難しいのでしょう。


もう一つに日本は道徳教育中心で哲学的素養を育む教育があまりされていないという点があります。


道徳は誰かが先に作り上げたもので、道筋も正解も一つに定まっています。


一方で哲学は自分で 導き出すもので、正解も一つではありません。

 

例えば、フランスでは子供の頃から学校で哲学的思考能力を強化するよう、記述式を中心とした授業を行っています。


あらかじめ決められた正解をマークシートの中から選ぶ、という方式ではなく、答えも、答えまでの道筋(論理の組み立て方)も採点のポイントとなります。


そのため全体主義のような誰かが決めたルールだけが絶対、社会の決めた価値基準だけが絶対という風潮はありません。

 

このような哲学的教育方針は、政治家や支配者階級にとっては、とても不都合です。

国民が自分で考える習慣ができてしまうと、当然政治に対する見方もシビアになりますし、色々な意見や批判に対処しなくてはいけなくなります。

 

日本では、個人が自分で考える哲学的素養をあえて抑圧する方針(従順、平均化に重きをおいた集団管理教育)で、より政府に意見を言わない、扱いやすいような方法がとられてきました。

 

まとめ

日本人はもともと思いやりがあり、親切で誠実な国民性があると思います。

そこに個人を大切にする傾向が加われば、思いやりがあり親切で、差別や偏見が少なく、自分にも他人にも愛のある天使のような国民になるような気がしています。

 

もちろん個人差はありますが、根の誠実さや思いやりは哲学をもってしてもなかなか備えることが難しいので。(個人の感受性や経験による影響が大きい)


今までは、国策的な思想コントロール、儒教色の強い道徳方針の影響で、国民の人生観が均一化されてきました。


「あるべきひとつのロールモデル」が崩壊した今の時代、 私たちが頼ることができるのは 自分自身と 他者(世界)への信頼だけです。


今後、偏見や差別を規制する法律が日本でも確立されるととともに、わたしたち個人のレベルでも、色々な価値基準を比較し、 他者の権利を尊重できるようになれば、日本の自殺者、鬱病患者数、いじめ件数も減らせるのではないかと感じています。