ひとみーぬ通信

本、映画の感想、ブログ運営法など雑多なブログです。

労働はくだらない行為。やりがいの搾取の代表例である【働いたら負け】

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どうも、最近ブログで暴走している三条です。

 

前回に引き続き、今回もくそ長いぼやきが続きます(◎言◎)φ

 

労働のくだらなさを再実感。二度と従業員には戻りません

 

今回の清掃の現場で金銭面での補填をさせていただきとても感謝しています。

今のバイトがなければ支払いに大変苦労していましたし、日々不安とストレスで一杯だったでしょう。

 

やってよかったと思えたのは金銭面の補填ができたという点だけです。

 

正直、他の面でやりがいや充実感を感じることは全くありませんでした。

 

人を喜ばせても、自分が不幸なら虚しい

 

よく転職サイトや求人サイトに、明るく楽しい現場でみなさんに「ありがとう」と感謝されるお仕事です!

というフレッシュな一文が掲載されていますが、私にとっては、ただただ一日の時間をくだらない作業に浪費し、大切な身体を酷使し続ける時間という認識です。

 

人生の大半を同じ職場で過ごすのは、人として異常な行動

 

私は時間に特別価値があるとは思っていませんが、ある程度の収入を稼ぐとなると、捧げる時間が膨大になります。

私の場合、半日勤務でしたが、他の福祉職員の方々は一日8時間以上の時間を職場で過ごされています。

 

正直、半日でも無駄だな~なんでこんなことしてるんだろう?という疑問がポツポツ沸いてくるのに、8時間、週5回も職場で過ごすなんて、私は絶対にありえないです。

 

さらに利用者さんなどに「ありがとう」と言われてもやりがいはUPしないし、かえって見張られているようなプレッシャーになります。

 

劣悪な環境でくだらない仕事をしている自分・・という客観性しかないです。

 

勤労の美徳が採用されたのは近年になってから

 

古代ローマの貴族達は奴隷に日常労働をさせて、自分たちは思索や芸術活動をしていました。そして労働を蔑視していました。

 

勤労の美徳という概念が、キリスト教の世俗内禁欲から生まれたように、人間にやりたくないことをさせるための都合のいい説教にすぎません。

※日本でも明治から戦前にかけて高等遊民 がいましたね。

 彼らも労働など、即物的な行動を蔑視し 読書や思索、芸術に浸っていました。

 

大衆行動は人為的な計画

 

小中学校・・と6年以上、勤勉な労働者を量産するためにさまざまな洗脳教育を仕込んでいたために、多くの人が労働や献身という義務に無意識を操作されています。

 

私たちはまるで牧場の中の柵で飼われる羊のように、社会や上層部にとって都合のいいように動くよう、条件をセットされ、日々追いまわされています。

 

大衆行動は自然発生的に起きるものではなく、ある条件がセットされた時に起こる流れです。その条件をあらかじめセットしておくのが教育であり洗脳です。

 

その洗脳条件は賢い凡人である、官僚が作り、パフォーマンスのうまい政治家が官僚から渡された原稿を国会で読み上げます。

 

幼稚園のお遊戯会、小学校の騎馬戦、朝礼、オリンピック強化選手並みの体育のタイム向上主義、中学校の受験戦争、集団行動・・

 

あげればきりがありませんが、すべては勤勉で言われたことだけを素早くこなし、文句を言わずに身体と時間を捧げる労働者を量産するための仕込みです。

 

 義務教育、社員研修で目指す理想の人材像

 

決して質の高くない作業を、時間通りにたくさんこなし、

言われたことだけを何も考えずに繰り返し、

日々の時間を大量に労働に捧げ、

過酷な労働条件でも文句を言わず、

身体をないがしろにしても、勤労することが正しい

 

日々至るところで理想の「人材」になるよう、刷り込まれてきたために、牧畜で追いまわされることに慣れすぎてしまいました。

 

追いまわしている牧場主の姿は燻煙をまかれて見えないようになっています。

 

その燻煙が勤労の美徳、献身の美徳、社会人として常識等の、情緒的な価値です。

 

情緒的価値が非常に危険な理由

 

情緒的価値が人間にとって非常に危険だと思うのは、善意を強化してしまうからです。

 

これが正しい、私がしていることは正義だ、あの人にとって(人類にとって)こうしてあげることが正しい!(→宗教集団のテロに発展)

 

と自分の思込みだけで暴走する傾向があります。

 

「地獄への道は善意で舗装されている」

 

ワタミの社長が従業員をひどく酷使する一方で、発展途上国で学校を作ったりと善意の活動にも精を出されています。

 

社長自身の会社(社会)にすべてを捧げ、尽くすことが尊い、恵まれない者達には援助を与えるのが正しい、という善意の思い込みがそのような迷惑な行動を生み出しているように見えます。

 

今の職場は障害者が多く、ほとんどの患者たちは国の福祉で医療を受けています。

 

その患者さん達に、大量の看護師さん、介護士さん、医師が取り囲み、歌を歌ったり、ジュースを選ぶゲームをしたり・・

と幼稚園のような光景が毎日繰り広げられています。

 

もちろん、ハンディキャップやどうにもならない障害を持つ方達への援助は必要です。

 

それが国のお荷物だ!というのは全体主義ですし、今後大勢生まれる介護が必要なお年寄り達を姥捨て山に捨てる案と同じになります。

 

ただし、それらの仕事が人に役に立っているから存在意義がある・・というのは共感できません。

 

他の人たちだって同じ位、人権がありますし、ケアされる権利もあるはずです。

 

人の役に立つ一方で他のものを犠牲にしている・・という認識は持つべきではないでしょうか。

 

それは福祉を受けている人たちだけではなく、この地球で暮らすすべての人に言えることです。

 

生きるだけで他の動物たちを殺し、

生きるだけで大量に自然を消費し、

生きるだけで他の人たちの身体を酷使させています。

 

それを子供は天使だから優遇され、何をやっても許される、とか

障がい者は大変だから、優しくされて当たり前、とか

 

そのような特権の背後に隠れているのが、情緒的価値に歪められた善意だと思います。

 

 労働者は社会に都合よく利用される存在

 

話が大分脱線しましたが、労働者は社会の中で都合のいいように善意に利用されています。

 

もし、

大量の時間を捧げず

身体に無理がかからず

本当にやりがいのある仕事

 

で生活収入を得られ、人生を楽しめるならば最高ですが、

ほんとの労働者はその逆ですよね。

 

本当は虚しさを感じていても、これが社会人(強力な洗脳ワード)の務めだ、という義務感に追い立てられ、日々混乱しながらただただやるべきことをこなしていく・・

 

そんな人たちが大半なのではないか。

 

そうなると、逆にできない人、援助を受ける側になったほうが幸せなのかもしれません。

 

世の中は善意の押し付けで出来上がっているのだから、そこを利用すればいいだけです。

 

実際に洗脳から解かれている一部の人たちはそのことに気づいて、働くことを早々に辞めています。

 

みんながそんなことをしたら国が破綻する、社会が崩壊する・・という極論を持ち出す人が必ずいますが、

 

先ほど書いたように、全員が同じ行動をとるのは一定の条件がセットされた環境下だけです。

 

つまり、怠慢でプライドが高く、単純作業を嫌い、思索にふけることが美徳、という概念を小中学校と6年以上刷り込まない限り起こりえません。

 まとめ

全く何を書いているのかわからなくなっていますが、このブログは私の個人的な趣味でやっているのでたまには暴走するのもありかと思い書きました。

 

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労働に美徳など全くない。

劣悪な環境でこき使われて、最後は恨めしお化けになり、周囲に迷惑をかけるのが関の山。

 

私は二度と雇われ労働はしません。